1. はじめに
本年度のプロ野球では、11 月下旬より、各球団においていわゆる契約更改が開始されています。本年度の交渉は、新型コロナ ウイルスの拡大により、球団及びそのオーナー企業の経営に影響が生じており、また、来シーズンの試合の開催状況への影響が 懸念されている中で、これらが選手の年俸にどのように反映されるかが大きな焦点となっています
2020 年 10 月末に、日本プロ野球選手会から 12 球団に対して、球団側が来シーズンの年俸の一律の減俸を一方的に決めない こと、選手に対して経営資料を開示して丁寧な説明を行うこと等を求める要望書(以下「本要望書」といいます。)が提出され 1 、同 年 11 月 9 日、日本野球機構(NPB)は一律の減俸は行わない旨を回答しています 2 。
そのような中で、中日ドラゴンズでは、同年 11 月 27 日時点で、複数の選手について、球団側から増額提示がなされたものの、 他の球団の契約更改結果をみて判断したいとの理由で保留したことが報道されています 3 。
一方で、球団の中には、新型コロナウイルスの影響で試合数が削減された場合に選手との減額に関する協議の場を設ける特 約条項を入れることを検討している球団も存在するようです 4 。
この点に関し、球団と選手との間の年俸に関する契約については、2018 年 2 月 15 日に公表された「人材と競争政策に関する 検討会 報告書」(以下「本報告書」といいます。)により、優越的地位にある球団が課す制度・義務等が選手に対して不当に不利益を与える場合には、独占禁止法上問題となり得る場合があることが明らかとなりました。
本稿では、プロ野球における年俸交渉に関する制度について解説すると共に、本報告書を踏まえて球団側が留意すべき独占 禁止法上の問題点、そして、年俸交渉において選手代理人が果たすべき役割について概観します。
2. プロ野球の年俸交渉について
(1) 制度の概要
通常、プロ野球における 1 軍選手の契約更改は毎年 11 月上旬頃から実施されていますが、本年度は、新型コロナウイルスの 影響によりやや遅れて 11 月下旬から各球団が開始しています。
プロ野球の運営等に関するルールは野球協約において定められていますが、野球協約上、契約更改は「契約更新」(日本プロ フェッショナル野球協約 20175 (以下「野球協約」といいます。)49 条)として定められており、同条では「球団はこの協約の保留条項 に基づいて契約を保留された選手と、その保留期間内に、次年度の選手契約を締結する交渉権を持つ。」と規定されています。 保留条項は野球協約第 9 章以下に定められていますが、球団は、毎年 11 月 30 日以前に、次年度の契約締結の権利を保留す る選手を含めた全保留選手名簿をコミッショナーに提出することになっています(野球協約 66 条 1 項)。当該全保留者名簿は、毎 年 12 月 2 日にコミッショナーを通じて公示されます(野球協約 67 条 1 項)。
野球協約上、選手の年俸は「参稼報酬」と呼ばれており、球団は選手との間で締結した選手契約に基づき、統一契約書に表示 された参稼報酬を支払うことになっています(野球協約 87 条)。そして、①当該年度の年俸が 1 億円を超える選手は 40%まで、② 当該年度の年俸が 1 億円以下の選手は 25%までを限度として減額でき、③いずれの場合も選手が同意をした場合には、1 億円 を超える選手は 40%以上、1 億円以下の選手は 25%以上の減額が可能となります(野球協約 92 条)。実務上、当該減額に関す る制限は「減超制限」と呼ばれており、減超制限を超える年俸減額の提示(以下「減超提示」といいます。)は日本選手権シリーズ の最終日の翌日頃までに行われているようです。
そして、減超提示に対する選手の同意の状況を踏まえ、球団は上記の全保留者名簿を提出し、当該全保留者名簿に記載され ない選手は 12 月 2 日に自由契約選手として公示され、自由契約(選手契約が無条件解除)となります(野球協約 69 条) 6 。 他方で、契約を保留された選手との契約更新に関しては、統一契約書上、球団が選手と次年度の選手契約の締結を希望する 場合には、契約を更新する権利を有する旨規定されています(2017 年度版統一契約書様式 7 (以下「統一契約書」といいます。)31 条)。この点に関し、統一契約書上、球団は選手に対して、「選手の 2 月 1 日から 11 月 30 日までの稼働に対する参稼報酬」を支 払うことになっていますが、契約期間は 1 年と考えられています 8 。契約更改の交渉期間中に、来年度の年俸等について「合意」 に達すれば契約が更新されることになります。選手が球団から提示された年俸金額等の次年度の契約条件に対して同意をしな かった場合には、上記の「合意」に向けた交渉となりますが、当該交渉中の状況を指して報道等では「保留」と表現されています。
(2) 年俸の減額に関する動向について
MLB では、新型コロナウイルスの影響によりシーズン開始が大幅に遅れた結果、試合数が 162 試合から 60 試合に削減され、 2020 年度の選手の年俸(基本給)は、試合数に按分される形で一律に 63%減額されています 9 (以下「本件 MLB 減俸」といいま す。)。
これは、2016 年 12 月 1 日に MLB 球団及び MLB 選手会との間で締結された「Collective Bargaining Agreement」(以下「CBA」と いいます。)と呼ばれる労働協約で定められた「Major League Uniform Player’s Contract」(以下「MLB 統一契約書」といいます。) の条項に根拠があります。すなわち、MLB 統一契約書の Governmental Regulation–National Emergency の条項において、「MLB の試合が実施されない国家的な緊急事態においては、コミッショナーが統一契約書の運用を一時停止する権限を持つ」旨規定さ れており 10、当該規定に基づき、2020 年のシーズン中に MLB 球団と MLB 選手会との間で 1 ヶ月以上に亘る協議が行われ、最終 的に 63%の一律減額で合意されるに至っています。
これに対して、日本のプロ野球においては、MLB 統一契約書とは異なり、野球協約及び統一契約書上、新型コロナウイルスの 影響で試合が開催できなかった場合に年俸を減額できる明確な根拠となる規定は存在しません。そのため、NPBにおいてはMLB と異なり 2020 年度の選手の年俸は減額されず、各球団としては、2020 年のシーズン中の試合数削減の影響は、来年度の年俸 に反映せざるを得ない状況となっています。そして、新型コロナウイルスの蔓延状況の収束が見えない中で、2021 年のシーズン において試合が開催できない事態が生じることが懸念されますが、MLB と異なり、野球協約及び統一契約書上、減額の根拠とな る規定が存在しない以上は、今年の契約更改で合意された来シーズンの年俸は、原則として減額されないことになります。そのた め、今年度の契約更改は、2020 年における経営状態を反映すると共に、2021 年の試合数減少等の事態が発生するリスクを分配 する内容となっているため、球団及び選手間の交渉は非常に難しいものとなっています。
この点に関しては、野球協約上、個別の統一契約書において、野球協約及び統一契約書の条項に反しない範囲で、特約条項 を規定することが可能ですので(野球協約 47 条)、理論的には、例えば、MLB のように来シーズンの試合数に按分して年俸を減額 する旨の特約条項(以下「本件減額条項」といいます。)を設けること等の対応が考えられます。もっとも、上記の通り、MLB におい ても MLB と選手会との間で相当長期間の議論がなされた末に本件 MLB 減俸が合意に至っており、本件減額条項を設けようとす れば選手側からの強い反発が予想されること、実際に日本プロ野球選手会からも本要望書の提出等により牽制を受けている状 況等に鑑み、球団側は慎重な対応を行っているものと考えられます。
3. 独占禁止法上の留意点
上記 2.の通り、球団としては、2020 年の経営状態を反映させて年俸の減額提示をすること、野球協約・統一契約書上の手当が ない中で 2021 年の試合数減少等の事態が発生するリスクを避けるために本件減額条項を設ける等の対応(以下「本件減額対 応」といいます。)を検討している状況と考えられますが、このような状況下における年俸交渉において、優越的地位にある球団が 課す制度・義務等が選手に対して不当に不利益を与える場合には、独占禁止法上問題となり得る点に留意する必要があります。 すなわち、本報告書においては、プロ野球選手のような「個人として働く」役務提供者 11に対して取引上の地位が優越している発 注者が、役務提供者に不当に不利益を与える場合に、優越的地位の濫用(独占禁止法 2 条 9 項 5 号)の観点から、独占禁止法上 問題となり得ると指摘されています。
この点に関し、独占禁止法 2 条 9 項 5 号ハでは、「自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して、正常な商慣 習に照らして不当に」、「取引の相手方に不利益となるように取引の条件を設定し、若しくは変更し、又は取引を実施すること」が、 優越的地位の濫用に該当すると定められています 12。そして、取引上の地位が相手方に優越している事業者による対価の決定 が、優越的地位の濫用に該当するか否かの判断に当たっては、「対価の決定に当たり取引の相手方と十分な協議が行われたか どうか」などといった点が考慮されるとされており 13、また、「対価が取引条件の違いを正当に反映したものであると認められる場 合には、正常な商習慣に照らして不当に不利益を与えることとならず、優越的地位の濫用の問題とならない」とされております 14。 そのため、例えば、球団側が選手に対して、選手との十分な協議を行わず、一方的に、選手契約に本件減額条項を盛り込むこ とに合意しない場合は選手契約を締結しない(自由契約とする)旨を通告し、選手が自由契約となることを回避するために球団側 の要求を受け入れざるを得なかったと評価されるような場合や、試合数の減少を理由とした減額金額が著しく高額であり、試合数 の減少(及びその影響による収益の悪化)という状況を正当に反映したものといえないような場合は、球団側の対応は優越的地位 の濫用に該当する可能性がある点には留意する必要があると考えられます。
一方で、例えば、本件減額対応に当たって選手との間で十分な協議が実施されており、且つ、減額金額が当該シーズンの個人 成績等も考慮された合理的なものである場合は、球団の対応は優越的地位の濫用に該当しない可能性が高いと思われます。 以上より、球団が年俸交渉において本件減額対応を行う場合には、優越的地位の濫用に該当するリスクに十分に配慮する必 要があることから、法律の専門家の判断を仰ぎつつ、慎重に年俸交渉に対応することが望まれます。
4. 選手代理人制度について
選手代理人制度とは、プロ野球選手が球団との間における選手契約その他選手らと球団との間の権利関係に関する交渉を行 う際に、選手から委任を受けた代理人がこれを行う制度をいいます。
MLB では、メジャー契約の選手 1200 人に対して、選手代理人は 300 人から 400 人存在するとされています 15。1 人の選手代理 人が複数の選手を担当していることを考えると、多くのメジャー選手に選手代理人がついていると考えられます。MLB では、選手 代理人として MLB 球団と交渉等を行うためには、MLB 選手会から認証された MLB 選手会公認代理人の資格を取得する必要が ありますが 16、弁護士資格のある者が活動している場合が多く、現在、MLB の第一線で活躍しているエージェントは、弁護士資格 を有しているか、少なくとも米国のロースクールで法律学を学んでいる場合が多いとされています 17。
他方で、日本では、2000 年にプロ野球選手の代理人制度が導入された際に、球団側が、①選手代理人は日本弁護士連合会所 属の日本人弁護士に限ること、②1 人の選手代理人が複数の選手を代理することは認めないこと等を導入の条件としたことから、 現在、選手代理人を選任しているプロ野球選手は多くないのが実状とされています 18。
上記 1.の通り、日本プロ野球選手会が本要望書において、選手に対する経営資料の開示と丁寧な説明等を求めていますが、プ ロ野球選手が経営に関する知識経験に乏しいこと、球団からの提示額が仮に経営状況を反映した適切な金額であったとしても、 減額提示を受けた選手としては冷静な判断ができない場合もあること等を考えると、選手側から合理的な判断資料を提供しつ つ、冷静に事務的な交渉を実現できる選手代理人が存在することが、球団及び選手の双方にとって望ましい場合が多いと考えら れます 19。
