中国知識産権局専利復審委員会(以下、復審委員会という)は、2016年4月26日(世界知的所有権の日)に2015年の復審無効十大判例を発表した。例年同様、この判例は関連する法律問題の重要性、産業に与える影響、社会の注目度を総合的に考慮して選出されている。今回発表された10件の判例は無効審判の審決で、化学、生物、医薬領域の特許が半分(5件)を占める。これらの技術領域の発展スピードは非常に速く、技術は複雑で、審査の基準が存在しない新たな問題が絶えず発生する状況にある。復審委員会がこの5件の審決に反映させた審査の基準は、今後の実体審査と無効審判に対して大きな影響を与えていくものと思われる。ここでは、二回に分けて、この5件の審決の概要と解説を行う。

1、「iPS細胞」に関する特許無効審判事件

特許番号:ZL200680048227.7(CN101356270B)

参考用ファミリー公報:WO2007/069666(日本語)

特許権者:国立大学法人京都大学

無効審判請求人:劉蕾雅(中国の個人)

審決結果:補正後の特許請求の範囲を維持有効とする

判例の概要と意義:

当該特許は京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したiPS細胞に関するものである。

中国では、その実施において人の胚胎を利用する発明、もしくは人の胚胎(クローン人間)の製造に用いられる発明は、公序良俗に違反する(専利法第5条)とされる。特許の実体審査においては、人の胚胎を直接利用してもよく、またすでに出来上がった胚胎細胞株(胚胎から単離する必要がなく、市販などのルートで入手できるもの)を利用してもよい発明に対して、通常関係する細胞をすでに出来上がった細胞株にまで限定した上で、胚胎の使用に関する内容を削除するよう要求されるが、無効審判においては、このような補正をするのが難しい。本案に対し復審委員会は、当該発明の目的は、胚胎の使用が倫理的な問題をもたらすのを避けることであるので、明細書にはすでに「直接人の胚胎から細胞を得る」という技術内容が排除されており、専利法第5条に違反しない、と認定した。

また、審決において、以下の点を明確にした。

(1) iPS細胞は直接的には胚胎へ発達せず、その潜在的な応用として(胚盤胞の中へ移植した後)胚胎へ発達するとしても、専利法第5条には違反しない

(2) 発明のポイントではない技術的特徴に対しては、もし当業者が、適切なものを選択できる場合、かつ/または明らかに使用できないものを排除できる場合、該技術的特徴が請求項において上位概念として表現されていたとしても、その請求項が明細書にサポートされていない(専利法第26条第4項)という問題は発生しない。

筆者は、復審委員会がこれまでの実体審査で機械的に適用してきた専利法第5条に関する厳格な基準を採用せず、発明の本質と専利法第5条の立法趣旨に鑑みて、真の技術イノベーションの保護を実現した、と考える。

2、「抗癌薬イコチニブ(Icotinib)」に関する特許無効審判事件

特許番号:ZL03108814.7(CN1305860C)

参考用ファミリー公報:WO03/082830(英語)

特許権者:浙江貝達薬業有限公司(帰国留学生が設立した医薬企業)

無効審判請求人:付磊(中国の個人) 王露(中国の個人)

審決結果:補正後の特許請求の範囲を維持有効とする

判例の概要と意義:

当該特許は中国の製薬企業が研究開発した抗癌薬(非小細胞肺癌抗癌薬)イコチニブに関し、その臨床試験に示された効果は、世界中でも広範に使用されている抗癌薬ゲフィチニブ(Gefitinib)より優れたものであり、2016年の中国国家科学技術進歩第一等を受賞している。

本特許の明細書には、実施例により実証された効果が、具体的にどの化合物を用い、どの程度の濃度で実現したかは、記載されていない。無効審判の請求人は、この記載に基づき「発明は当該特許の明細書に十分に開示されていない」と主張した。復審委員会はその審決で、明細書において効果のデータがどの化合物から得たものなのか明確な記載がなくても、一般式の範囲内の具体的な化合物を採用して得たものであることを必然的に理解でき、当業者であれば請求項に記載の化合物が対応する活性を有することを確信できる、と認定した。上述の審判の判断基準は実際数年前にPFIZER社のバイアグラ特許の無効審判(ならびにその後の外国製薬企業の多くの類似した審判事件)で既に確立されたものである。

また、本特許は実体審査の段階で、請求項のマーカッシュ形式化合物の置換基に対して補正を行っており、その補正は、実施例に基づく具体的な化合物の具体的な基の概括であった(概括後の特徴については元の出願書面に明確な文言の記載がなかった)。復審委員会は、このような補正は実施例の具体的な化合物により導かれたもので、元の出願明細書に記載された範囲を超えるものではなく、専利法第33条(補正による新規事項追加)に違反しない、と考えた。

復審委員会は進歩性の議論において、請求人が提出した先行技術文献は既に本特許の明細書に挙げられており、このことが本特許は既に先行技術を認識した上で成されたものであることを示している、と考えた。したがって、本特許の化合物と先行技術の構造の相違点は自明ではなく、さらに、この相違点は通常構造の不安定をもたらすと考えられるため(阻害要因)、このことがさらに、本特許が自明でないことを表している、と判断した。復審委員会はさらに、当該薬物の商業上の成功を進歩性の補助的な判断に用いた。

復審委員会は、この無効審判に先立ち、中国深せんマイクロチップバイオ科技有限責任公司の抗癌薬(Chidamide)特許に対する無効審判の審決の中で、通常無効審判の段階で行われる補正の制限を超えて、特許権者が明細書に基づいて請求項を具体的な実施例の化合物へ補正することで、当該特許を維持有効とする判断を示している。この2件の無効審判事件から、中国の製薬企業は新薬研究開発では初歩的な段階にあり、中国企業の特許ポートフォリオや明細書作成能力は、一般的にまだ外国の大手製薬企業に及ばない、ことが伺える。科学技術の進展には貢献しつつも、特許の明細書作成には一定の瑕疵がある特許については、復審委員会は無効審判の段階で相対的に審査基準を緩和する傾向があるように思われる。

ただここで注意すべきは、関連する審決の具体的なロジックから見て、特許権者の有利に働く認定は、具体的な状況に基づいて総合的に考慮されて出てくるものであり、全ての類似する状況に対して適用できるものではない。しかし、中国の製薬企業が徐々に「ジェネリック医薬主流」から「新薬開発」へと向かいつつあり、特許権者と公共の利益の間のバランスにも変化がみられることから、今回の審決が中国企業にとって特例的と思えるものであったとしても、行政行為の一致性の観点から、参考にする意義があると思われる。(次回に続く)