【令和4年3月18日(名古屋地裁 平成29年(ワ)第427号 不正競争防止法違反被告事件)】

【キーワード】

営業秘密、営業秘密侵害、非公知性、故意、図利加害目的、営業秘密保有者、企業発スタートアップ・ベンチャー

【事案】

 被告人a及びcの2名は、b株式会社(磁気センサの開発、製造及び販売等を行う)の従業員であったが、b社の営業秘密を不正に開示したとして、営業秘密侵害罪(役員等背任罪[i]、不正競争防止法21条1項5号)で起訴された。

 判旨によれば、被告人a、被告人cの経歴、及びにおける本件に関連する事業展開は、以下のとおりである。

また、判旨によれば、アモルファスワイヤは、

(1)MIセンサの基幹部品であるMI素子を製造するために用いられるワイヤであり、

(2)磁性を帯びた金属細線であり、極めて細くて、ひずみに弱く、微小な静電気や磁気、空気の流れ等にも影響され、応力を加えられると磁気特性が変化する、という特性を有する

とのことであり、このため、

(3)ワイヤ整列装置には、アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫が必要になる

という。

【名古屋地裁の判断】

 本件は、書面、メール又はデータ提供といった記録が残る形態ではなく、口頭及びホワイトボードへの記載という形態で行われた開示行為について営業秘密侵害罪で起訴されたという点で稀有であるのみならず、裁判所が、営業秘密保有者側の営業秘密と被告人らが開示したと認定できる情報との相違点と共通点を炙り出すという手法で非公知性を否定したという点が非公知性の論点を考えるにあたり参考になる上、予備的に被告人両名の故意責任も否定しつつも、被告人両名について不正の利益を得る目的(図利加害目的)を認定し、仮に故意が認められたなら共謀も認められると判示した特異な事例である。また、複数の関係者がいる場合に消去法的に営業秘密保有者性を判断する枠組みを示した事例ともいえる。

 なお、上記時系列表※1のo社設立は、aがb社在職中に行われた行為であるが、b社において兼業・副業等が禁止されていたか否かについては、判旨の限りでは定かではない。  

 また、上記時系列表※2のb社在職中の金銭授受については、b社において職務に関連して従業員個人が企業と契約を締結して当該契約の対価を受け取ることが禁止されたり制限されたりしていたか否かについては、判旨の限りでは定かではないものの、後述するとおり、図利加害目的を肯定する一事情として認定・参酌された。

【判旨抜粋】

(※略表示,太字,下線及び墨括弧箇所は,筆者加筆による)

【非公知性の否定】 (2)結論  本件打合せにおいて被告人両名がeに実際に説明した,ワイヤ整列工程に関する情報のうち,検察官主張工程と共通する部分(以下「本件実開示情報」という。)がbの営業秘密であるとは認められない。  すなわち,被告人両名が説明した情報は,アモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関するものではあるが,bのワイヤ整列装置の機能・構造,同装置等を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程と大きく異なる部分がある。また,本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ余りにも抽象化,一般化されすぎていて一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。そうすると,本件実開示情報は,非公知性があるとは認められない。 (3)bの工程と大きく異なる部分  本件打合せにおいて被告人両名が説明した情報は,bのワイヤ整列装置の工程と重要なプロセスに関して,大きく異なる部分がある。すなわち,工程㋑に関して,bのワイヤ整列装置では,なるべくアモルファスワイヤに応力を加えないようにするために,基板の手前にシート磁石が埋め込まれた溝(「ガイド」)を設置したり,切断刃近くに磁石を設置したりしてワイヤの位置を保持し,チャック以外では,ワイヤになるべく触れずに挟圧しない方法が採られている(ただし,3号機では,「ワイヤロック」による挟圧はされている。)。  これに対し,被告人両名が説明した情報は,前記のとおり,まっすぐにぴんと張る程度に張力を掛けて引き出されたワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をするというものである。この工程は,ワイヤを基板の溝等に挿入して整列させる工程において,「ワイヤ引き出し」,「仮固定」,「切断」といった重要なプロセスに関するものである。被告人両名が説明した情報は,bのワイヤ整列装置の工程と重要なプロセスに関して大きく異なるところがある。 (4)一連一体の工程としての非公知性  本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。 ア 工程㋐(ワイヤ引き出し)について  工程㋐について,(略)3号機では,ワイヤ供給部のボビンに設置されたモーターを正転させて,張力をなるべく掛けずにワイヤを送り出し,挿入の直前に,モーターを逆回転させて張力を掛ける,その後,チャックの爪を半開きにするといった工夫が施されていた。これらの工夫により,(略)。  被告人両名は,本件打合せにおいて,これらの工夫に関する情報を開示していない。被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通する「チャックがワイヤをつまみ,基板上方で右方向に移動する」という工程は,基板上にワイヤを直線状に並べるやり方として比較的単純なものであるといえ,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。現に,d白金固定システムでも,チャックでワイヤをつかんでボビンに巻かれた白金線を一定の張力を掛けながら引き出すという方法が採られており,dが,その方法を営業秘密として管理していたわけではない。 イ 工程㋑(仮固定)について  工程㋑について,bのワイヤ整列装置では,(略)ワイヤの位置を保持し,チャック以外では,ワイヤになるべく触れずに挟圧しない方法が採られていた。被告人両名は,本件打合せにおいて,これらの機構や方法に関する情報を開示していない。被告人両名が説明した情報は,前記のとおり,アモルファスワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をするというものであり,bのワイヤ整列装置の機構や方法とは大きく異なるものである。被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通する「ワイヤに張力を掛けたまま仮固定する」という工程は,基板上にワイヤを直線状に並べようとすれば,当然のことであるといわざるを得ないものであり,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない(略)。 ウ 工程㋒(位置決め調整)について   工程㋒について,bのワイヤ整列装置では,1号機では顕微鏡を用いて,位置決め調整を行う方法が採られていた。また,2号機,3号機では,基板上に設けられた基準マークを画像認識することにより,工程㋐の前に位置決め調整を行うという工夫がされていた。  被告人両名は,本件打合せにおいて,これらの位置決め調整のための工夫等に関する情報を開示していない。被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通するのは,「基板を固定した基板固定台座を上昇させ,ワイヤと基板の溝等との位置決め調整を行う」という部分である。このうち,前段の「基板を固定した基板固定台座を上昇させる」という部分は,ワイヤを基板上に並べるためには,ワイヤと基板を接近させることが当然必要となり,そのためには,ワイヤを基板側に近づけるか,基板をワイヤ側に近づけるか,あるいは両者をそれぞれ動かして近づけるといった方法によるのが自然な発想である。基板をワイヤ側に上昇させる方法が一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。現に,d白金固定システムでも,下側の金型にV字の溝を掘って,それを上昇させることで,白金線を溝に入れるという方法が採られており,dが,その方法を営業秘密として管理していたわけではない。  また,bのやり方と共通する工程のうち,後段の「ワイヤと基板の溝等との位置決め調整を行う」という部分は,ワイヤを基板の溝等に挿入してワイヤを基板上に整列させる以上,当然,必要になると考えられる工程であり,位置決め調整を行うということ自体は,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。なお,基板にピンを立ててその間にワイヤを挿入すること自体は,平成23年9月20日,「広レンジタイプMI素子の開発とその特性」との演題で行われた講演会(略)において,b従業員h,被告人aらが発表しており,公知情報になっているといえる。 エ 工程㋓(仮止め)について  工程㋓について,bのワイヤ整列装置では,ワイヤを仮止めするために,基板固定治具に多極化された磁石を埋め込む工夫がされていた。  被告人両名は,本件打合せにおいて,基板固定台座に磁石を埋め込んだ治具を載せ,磁石の磁力でアモルファスワイヤを仮止めする旨の説明はしている。しかし,アモルファスワイヤを基板上で仮止めするためには,普通の磁石を基板固定治具に埋め込むだけでは,うまくいくとは考えにくく,磁石を多極化するなどの工夫が必要になるところ,被告人両名は,本件打合せにおいて,基板固定治具に埋め込む磁石を多極化したものにする必要があること,その配置のやり方,大きさ等について一切説明していない。 オ 工程㋔(切断)について  工程㋔について,bのワイヤ整列装置では,ワイヤの張力を解放した後に切断する工夫がされていた。また,3号機では,基板の外側ではなく,基板内において青色レーザで切断する工夫もされていた。  被告人両名は,本件打合せにおいて,切断前に張力を解放することや基板内において青色レーザで切断する工夫を説明していない(略)。かえって,被告人両名は,前記のとおり,ワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をし,その間でYAGレーザで切断するという,bのやり方とは大きく異なるやり方を説明した。  被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通する「ワイヤを切断する」という工程は,もともと長い線状で販売されているワイヤを基板に並べるためには当然必要となり,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。(略) カ 工程㋕(基板固定台座の移動)について  工程㋕について,被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通するのは,「基板固定台座が下降し,次のアモルファスワイヤを挿入するためにY軸方向に移動する」という部分である。基板上の溝等にワイヤを挿入した後,次の溝等にワイヤを挿入するためには,ワイヤと次の溝等とを接近させることが当然必要となり,そのためには,ワイヤを移動させるか,基板側を移動させるか,あるいは両者をそれぞれ動かすといった方法によるのが自然な発想である。基板側を移動させる方法が一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。 また,基板を移動させる際,基板固定台座を上下に昇降させるというのも,それだけでは単純なやり方であるといえ,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。 キ 工程㋖(繰り返し)について  工程㋖について,1号機,2号機では,連続運転をするために,切断後,チャックに付着したワイヤを「ワイヤ払い」機構により払うという工夫がされていた。また,3号機では,「ワイヤ払い」機構に変えて,工程㋓と工程㋔との間に設けられた「ワイヤ引き戻し」機構により,ワイヤを左側に引き戻すなどして,爪を半開きにしたチャックからワイヤを引き抜くなどの工夫がされていた。  被告人両名は,本件打合せにおいて,これらの連続運転を実現するための工夫に関する情報を開示していない。被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通する「㋐ないし㋕の工程を機械的に繰り返す」という工程は,連続運転をする以上,当然必要となり,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。 ク 一連一体の工程 (略) (イ)当裁判所の判断  本件実開示情報は,一連一体の工程として見ても,非公知性の要件を満たすとはいえない。  すなわち,被告人両名は,前記のとおり,アモルファスワイヤの特性を踏まえ,基板上にワイヤを精密に並べる上で重要になるはずのbのワイヤ整列装置に備わっている工夫に関する情報,例えば,位置決め調整におけるCCDカメラの活用,ワイヤ引き出し時(送り出し時)におけるモーターの回転方法,ワイヤの仮固定における「ガイド」等の機構,基板上の溝等に仮止めする際の磁石の配置,ワイヤがチャックに付着し続けないようにするための工夫等について,eに対して説明していない。      また,本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるために重要となるはずの情報がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。 (ウ)検察官の主張に対する判断  前記検察官の主張(5⑴)について判断すると,確かに,1号機ないし3号機は,bが独自に開発したものであり,アモルファスワイヤの特性を踏まえ,基板上にワイヤを精密に並べるための工夫が含まれた工程そのものは,非公知性の要件を満たすと考えられる(秘密管理性,保有者性等については別途検討する。)。また,ある情報の断片が様々な公刊物に掲載されるなどして,その断片を集めてきた場合,当該営業秘密たる情報に近い情報が再構成され得るからといって,そのことをもって直ちに非公知性が否定されるわけではない。そして,開示者が,営業秘密保有者から入手した営業秘密の一部やそれを抽象化,一般化したものを開示した場合,あるいは,その一部をアレンジして開示した場合であっても,営業秘密を開示したといえる場合もあり得る。さらに,1号機ないし3号機の全てに共通する工程も一応存在するとはいえる。  しかし,本件打合せにおいて,被告人両名は,1号機ないし3号機の機能及び構造,各装置を用いてワイヤを基板上に整列させる工程そのものを開示したわけではない。そして,複数の情報の総体としての情報については,なお,当該情報が非公知である,というためには,組合せの容易性,取得に要する時間や資金等のコスト等を考慮し,営業秘密保有者の管理下以外で一般的に入手できるかどうかによって判断されるべきであるが,本件についていえば,本件実開示情報は,真の工夫に関する情報がそぎ落とされ,組合せとして見ても,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。 (略)  なお,抽象化,一般化されすぎた情報については,事業活動にとって有用であるとはいえないとして,有用性の要件を欠くという説明もあり得よう。当裁判所は,非公知性の要件を欠くと考えたが,有用性の要件を欠くという立場を採ったとしても,被告人両名の行為がbの営業秘密を開示したとはいえない,という結論は変わらない。   【故意責任】 1 結論  仮に,本件実開示情報がbの営業秘密であると認められるという見解を採り,被告人両名の行為が客観的には営業秘密開示行為に該当するという見解を採ったとしても(この仮定は,当裁判所の見解ではない。),被告人両名において,本件打合せでeに説明した情報について,bの営業秘密に該当しないと考えていた疑いが残り,そのように考えたことについて,相当な理由があるといえることなどからすると,被告人両名について,故意責任を問うことはできない。   【無罪が成立する場合の他の犯罪成立要件に関する判断について】 第8 小括  以上によれば,その余の点を判断するまでもなく,被告人両名について無罪とするほかないが,審理の経過等に鑑み,他の犯罪成立要件についても念のため判断する。  以下の記載では,本件実開示情報に非公知性が認められるとする見解,被告人両名に故意があると認められるとする見解を前提に論じることになるが,当裁判所は,これらの見解を採るものではない。   【営業秘密保有者性】   第11 営業秘密保有者性 1 結論  仮に,本件実開示情報に営業秘密該当性が認められるという見解を採るのであれば,以下に述べるような1号機の開発経過,bとJSTとの間で締結された本件開発委託契約の内容,開発期間終了後のbによる報告に対するJSTの対応,bによる技術情報の活用状況等からすると,bは,本件実開示情報を正当な権原に基づいて取得して保持している者に該当すると認められる。 2 理由  (略)確かに,本件開発委託契約は,産業活力再生特別措置法施行前に締結されている。しかし,同契約によれば,開発実施により生じたノウハウは三者の共有とする旨明確に規定されており,同法施行前であることやbにおいて実施料を支払う義務があることなどを理由にJSTに専属的に帰属するとは考えられない。  また,確かに,bは,本件開発委託契約に基づき,開発期間終了後,開発実施の結果について詳細な実施報告書を提出する義務を負い,開発の実施により生じたノウハウを書類に表現し,開発期間終了後,遅滞なくJSTに提出すべき義務を負っていた。bは,本来,gレポートに記載された内容をJSTに報告すべきであったといえ,その義務を誠実に果たしたとはいえない。しかし,bは,前記のとおり,JSTに対し,1号機の工程の概略を記載した本件報告書を提出したが,提出後,JSTから報告の補充等を求められていない。契約の当事者であるJSTの担当者も,JSTとして,bから書面で報告を受けていないノウハウについてJSTのものであると主張する予定はない旨明言している。そうすると,bにおいて委託事業を通じて獲得したノウハウが専らJSTに帰属するとはいえない。 (略)確かに,1号機のノウハウを考案した従業員は,本件発明規程に基づく,発明考案届出の手続をしていない。しかし,本件発明規程によれば,発明考案等を行った従業員は発明考案等の内容を遅滞なく知的財産室長に届け出るものとされているところ,当該従業員において,所定の届出をしなかった場合に,業務の過程で考案したノウハウが当然に従業員に帰属するというのは不合理である。その場合については,本件発明規程によらずに,その帰属を判断するほかない。本件では,ワイヤ整列工程に関する技術上の情報は,bがJSTから受託して行った委託事業の過程の中で獲得されたものであること,従業員は,bの事業の範囲内で,その職務として,専らbの設備を用いて開発に携わったこと,当該技術上の情報は,その後,bの事業で使用され続けてきたことなどからすると,bが,その保有者であるというべきである。   【図利加害目的】 5 結論  前記2の認定事実によれば,被告人両名が平成24年12月頃から平成25年2月頃までの間にfに対しワイヤ整列装置の試作機の製作依頼をしたのは,bによる正規の依頼としてではなかったと認められる。また,被告人両名は,fから製作依頼を断られると,dに対し同様の製作依頼をしており,dに対する製作依頼もbによる正規の依頼としてではなかったと認められる。そうすると,仮に,本件実開示情報がbの営業秘密に該当するという見解を採るのであれば,被告人両名がそれを用いてbの了解なくワイヤ整列装置の試作機を製作しようとしたことになるから,被告人両名に,不正の利益を得る目的があったと認められる。被告人cが,b退職前に200万円もの高額の現金をo社から受け取っていることも,不正の利益を得る目的があったこととよく整合する。  なお,被告人cが供述するとおり,平成24年12月4日のfとの打合せに被告人cが出席していなかったとしても,被告人両名に不正の利益を得る目的があったとの認定は左右されない。   【任務違背性・共謀】 第13 その他の犯罪成立要件  仮に,本件実開示情報がbの営業秘密に該当するという見解を採ると,被告人両名は,本件実開示情報を業務の過程等で取得したのであるから,不正競争防止法21条1項5号にいう「営業秘密保有者から営業秘密を示された者」に該当するといえる。また,被告人aについては技監就任時の契約,被告人cについては雇用契約により一般的に課せられた秘密を保持する義務を負っているといえるので,同号にいう「営業秘密の管理に係る任務」に背いたといえる。さらに,被告人aが同号の「役員」,被告人cが「従業員」に該当することも明らかである。  そして,仮に,被告人両名に故意があると認められるとする見解を採ると,共謀も認められる。 

【検討】

1. 非公知性について

1.1判断枠組み

 本件では、上記判旨抜粋(【非公知性の否定】の部分)のとおり、b社のワイヤ整列装置の工程と、被告人らが本件打合せで開示した情報とを対比し、相違点については、b社における工程毎の工夫が開示されていないとして、共通点については、d白金固定システムとの共通点も示しながら、比較的単純な方法とか当然に必要、自然な発想などとして、非公知性を否定した。

 また、一連一体の工程としての情報としても、b社のワイヤ整列装置の工夫に関する情報が本件打合せで開示された情報に含まれていないとして、非公知性を否定した。

 この点、工程毎に相違点及び共通点を炙り出す手法については、特許侵害訴訟において請求項(権利者側)と被疑侵害物件(イ号物件)とを対比するような手法や、進歩性の判断において請求項と先行文献と対比するような手法と似ていると言える。

1.2検討

 そこで、整理のために、クレームチャートではないが、判旨に基づいて各工程を記載し、これらを対比した表を以下に掲載する。同じ色のハイライト部分が共通点であり、ハイライトがない部分が相違点である。

 このようにカラーリングしてみると一目瞭然であるが、「検察官主張工程」は、b社の1号機~3号機の共通項を括り出したような、高位の抽象的な概念で書かれたクレームのようである。

 数値限定特許ではないが、ハイライトで埋められていない部分、すなわち、b社の1号機~3号機に関する数値等の細かい条件にアモルファスワイヤの特性を踏まえて整列させる工夫があることが窺えるところ、これらを捨象してしまっては、裁判所がいう通り、b社における工夫がそぎ落とされて、あまりにも抽象化・一般化した情報といわざるを得ないであろう。

 また、上記対比表の3号機の行で黄色ハイライトを付したが、張力をなるべく掛けずにワイヤを送り出すのか(営業秘密保有者側)、その逆で、張力をかけたままワイヤを引き出すのか(被告人ら側)、というのは、非常に大きな相違点である。この点、検察官が当該相違点をどのように捉えて主張立証を展開したのか疑義が生ずるところである。

1.3さらなる検討

 本件における非公知性の論点に関し非常に気になる点を挙げるとすれば、上記時系列表のとおり、d社は本件打合せから約8か月後にはワイヤ整列装置(以下、「d装置」という。)を完成させてo社に納品したという事実である。

 この点、d社の事業の詳細が判旨からは不明であるものの、判旨で言及されている「d白金固定システム」からすれば、白金線(プラチナワイヤ)とアモルファスワイヤ(磁性を帯びた金属細線)はその特性が異なるから、d社はアモルファスワイヤを整列させるための装置を完成させられるだけの技術情報を本件打合せ以前から保有していなかったのではないかと推測される。そうであるからこそ、切断時のワイヤの固定方法について両面テープのような粘着質なもの又は瞬間接着剤を用いてはというe提案に対して、被告人らが磁力を用いた治具を自ら作ると説明したとも窺われる。

 すなわち、見積り段階の本件打合せで開示された情報以上の情報を被告人両名から製作途中で開示を受けて、d社はd装置を完成させるに至ったのではないかという可能性が考えられる。あるいは、「治具」を被告人らの方で作るとeに説明したという点から敷衍すると、被告人らはd社に対して詳細な仕様等情報を開示するのではなく、ワイヤ整列装置の構造の中心的な部材について自ら製作し、d社には部材を組合せて完成させる作業を依頼した可能性もあり得る。

 いずれにせよ、そうすると、o社に納品されj大学に設置されたd装置を押収して分析等することにより、本件打合せ以上の情報、すなわちb社が保有する営業秘密であるという「ワイヤ整列装置の構造・工程の細部」が明らかになったのではないかと思われる。

 もちろん、d装置を分析等してその構造の細部・工程を明らかにした結果、b社側のワイヤ整列装置の構造・工程との同一性・類似性が認められず(同じ「ワイヤ整列装置」と呼ばれているとはいえ、設計のコンセプトが全く違うために構造も、アモルファスワイヤの整列工程も大きく異なる装置になった可能性が全くないとはいえない)、結局、本件打合せ時に開示された情報以外にb社の保有する営業秘密(ワイヤ整列装置の構造・工程の細部)の侵害を立証し得る事実が見当たらなかったという可能性も考えられなくないが、本件については、リバースエンジニアリングにより営業秘密の不正開示を立証できた事案だったのではないかという疑問が残る。

 起訴が平成29(2017)年、一審判決が令和4(2022)年とその間、約5年あるので、公判前整理手続が行われたものと推察されるが、「検察官は,検察官主張工程の内容に対応する範囲を超えて,b社の保有する各ワイヤ整列装置の構造,工程の細部に至る立証はしない,と明示している」という判旨に鑑みるに、公判前整理手続で行われたであろう当該明示が、本件の結論を大きく左右したようにも思われる。

2. 故意責任及び図利加害目的について

 営業秘密侵害罪が問われた事案で、故意責任を否定しながら、「審理の経過等に鑑み」非公知性と故意以外の他の犯罪成立要件のすべてについて言及し、そのすべてを認定したという裁判例は、稀有であろう。

2.1故意責任について

 判旨は、「被告人両名において,本件打合せでeに説明した情報について,bの営業秘密に該当しないと考えていた疑いが残り,そのように考えたことについて,相当な理由があるといえる」と判示する。その理由の一つとして、被告人aの公判廷における「私は,bの営業秘密を用いないで,公知情報とfの既存ノウハウを用いて,新しい研究用のワイヤ整列装置を開発する意思があった。」という供述の信用性を認めている。

 確かに、張力をなるべく掛けずにワイヤを送り出すのか(営業秘密保有者側)、その逆で、張力をかけたままワイヤを引き出すのか(被告人ら側)という大きな相違点があることに鑑みれば、「bの営業秘密を用いないで」ということにも一定の合理性が認められるが、判旨が、「被告人aの説明には無理があると思っていた。というのは,ワイヤ整列装置はbにしかない機械であったし,fに発注しようとしているワイヤ整列装置も,一度に張るワイヤの本数など相違点はあっても,その基本構造はbのものと同じだった。また,ワイヤを引っ張る機構や台座を動かす機構など,一つ一つの構造などを見れば公知の技術なのかもしれないが,それらを組み合わせてワイヤ整列工程を可能なものにしたという点はノウハウに当たると考えていた。こうしたことから,私としては,被告人aの説明は通らないと考えていたが,被告人aから言われたことなので,lにはそのまま説明した。」という被告人cの捜査段階の供述について、「法的評価に関する事項である。被告人cは,知的財産分野の専門家というわけでもなく,公知技術を組み合わせてワイヤ整列工程を可能なものにしていた点はノウハウに当たると考えていたと供述している点の証拠価値はさほど高くない。」という点を理由の一つとして信用性を否定したことについては疑問が残る。

 技術系の職種に就いていれば、「公知技術」や公知技術を組み合わせたら「ノウハウに当たる」ということは通常の知見であって、「知的財産分野の専門家」である必要はないからである。

 逆に、営業秘密の不正開示等を問われた場合、当該営業秘密を用いずに独自に開発・取得した情報と公知情報を利用して開発等しただけであるという言い分をなしても、なかなか信用してもらえないが、疑われた側としては当該言い分の信用性を裁判所が認めてくれることもあるとして、本事案を一つの積極的な前例として捉えることができる。

2.2図利加害目的について

 営業秘密侵害罪における図利加害目的の認定としては、比較的あっさりと肯定した裁判例といえる。図利加害目的が主たる争点となる営業秘密侵害罪の事例も多いが、本件では、争点としてメインではなかったのかもしれない。

 この点、b社からの依頼だと言いながら、о社に納品させるためにb社の営業秘密を開示したのであれば、о社のために動いたといえ、b社の営業秘密を管理する任務に違背して第三者(о社)の利益を図る目的があったともいえるものの、やはり、被告人cがb社在職中に職務に関連して個人的に200万円をо社から受領したという事実の方が、図利加害目的の肯定に大きく寄与したと考えられる。従業員が個人的に取引先と契約を締結して金員を受領するということは、講演費や執筆の印税は別として、通常の事態ではない。

 この点、判旨によれば、本件打合せの前の時点で、b社の常務取締役も従業員もfの従業員やd社の従業員に対して、被告人両名からのワイヤ整列装置の見積依頼はb社からの正式なものではないので見積りを出すのは止めてほしいとか、前任者である被告人両名は経営方針等で意見が食い違っているため、前任者から話があっても極力関わらないよう求めていたとのことである。

 b社においてそのような従業員トラブルを抱えている認識があったのであれば、被告人らの言動についてどのように監督すべきであったのか、自社工場への出入りやf社、d社への連絡の制限をどのような根拠でなし得たのかという点についても、考えさせられる事例である。

【おわりに】

 報道によれば、被告人aは、b社の従業員・役員としてMI(マグネットインピーダンス)事業の研究開発に従事したものの、当該事業の展開に関してb社経営陣と対立して技監に降職、それを機に、b社を退社して次世代MIセンサ開発のためにo社を設立し、研究開発を続けていたとのことである。

 企業においては、その規模に関わらず、事業の選択と集中を行わなければならない場面が成長に応じて何度も訪れると言うが、企業が切るべきと選択した事業に思い入れのある従業員・役員の処遇を検討するにあたっては、労働法的観点のみならず、秘密情報の管理という観点も留意すべきことを示唆する事例の一つが本件であると言えよう。

 本件を敷衍すれば、近時、切る方の事業について、カーブアウトやスピンアウト、スピンオフといった形で、元従業員・役員が企業発スタートアップ・ベンチャーを起業し事業継続する事例が散見されるところ、切り出した方の企業が保有する秘密情報であるのか、新たな企業において創出・開発された秘密情報であるのか、その切り分けが紛争化するケースも少なくない。秘密情報管理の原則の一つの繰り返しではあるが、企業発スタートアップ・ベンチャー制度を採るにあたっては、もともとの企業において、退職・退任時や元従業員・役員による起業時に、重々、秘密情報の切り分けに関する認識を擦り合わせ、事後の紛争化を提言すべく、具体的な文言に落とし込んだ合意書等を締結することが望まれるものである。

 切り出された事業がもともとの企業と揉めることなく新たに展開し、新しい競争力を獲得することが期待される。